【善正寺法話のしおり】


「戦争に正義はない」

 以前、あるお念仏のお友達から頂いたお手紙の中に、大分県宇佐市圓徳寺の98歳になる前住職 酒井正知さまが最近まで書きつづけて来られた「ともしび通信」というお便りの291号に「降る雪や明治は遠くなりにけり」という、中村草田男さんの有名な俳句を枕にして、ご自分の体験を赤裸々に綴られたものがあり、その中にシベリヤ抑留のこんな一節がありました。
 有刺鉄線に囲まれた収容所では、隣に寝ていた兵隊が、朝亡くなっていた。全く気付かなかったが、間違いなく栄養失調だった。
 簡単な葬儀を行ったが、それは持っていた小さな聖典でお勤めし、ロシヤ人の刻みたばこで焼香し、遺体を橇(ソリ)に乗せて、吹雪の中を野辺送りするという、文字通りささやかな手作りものだった。
 凍てついた大地に十字鍬ははねかえされ、とうとう墓穴は掘れなかった。また、そんなころ、こんな話も聞いた。
 旧満州から引き揚げの際、兵隊に引率された日本人の一団に、長い行軍に耐えられない幼い子は殺すようにという厳しい命令が伝えられた。あるお母さんが、一年生の娘さんの首に剃刀(カミソリ)を当てたとき、その娘さんは血を流しながら、
 「お母さん、いい子にするから、これ以上痛くしないで」と泣いて謝り逃げまわった。それを見かねた一人のなかまが、後ろからその娘さんの首を絞めた。ぐったりするのを見届けた母親は、身をよじり、大声をあげて泣き崩れたという。
 このような体験談を読みながら、私は平和がどれほど大切なものか、人間のわれよしとする煩悩のいきつくところ、ついには殺し合いをも正義の戦いだとするような、とてつもなく大きな罪を作るのだと、改めて思い知らされました。
 敗戦後79年、何やら、きな臭い匂いが漂いはじめ、身勝手な国粋主義が幅をきかせてきたようです。
 昭和5年の満州事変から敗戦までの所謂(いわゆる)15年戦争では、戦死者だけで232万人もいらっしゃった事実に目を向けるとき、昭和ヒトケタ世代の私は、改めて非戦を誓った憲法の心を大切にしたいと思うのです。

(前住職 法話のしおり 8月)