「春の小川」
ある年の春、近くの郵便局へ行った帰りに小川のほとりを歩いていますと、姉妹でしょうか、小さなお子さんが二人、しゃがみこんで、何やら水面をのぞき込んでいるのです。
ふと見ますと、生まれたばかりの小さなオタマジャクシが、群がって泳いでいるのです。私は、いい歳をしたおじいさんがと思いながらも、つられて覗き込んでいますと、頭の下にすぐしっぽがついているようなオタマジャクシの動きにも、それぞれ個性らしきものがあって、けっこうたのしいのです。
すると、お姉さんの方の女の子が私に「おじいちゃん面白い?」と尋ねるので、「ああ、面白いよ。みんな同じように泳いでいるのに、仲間外れのものもいるし、勝手に泳いでいるのもいて、結構、たのしいからね」と相槌を打ちながら、そこはそれ、お調子者の私のこと、「オタマジャクシは蛙の子、ナマズの孫ではないわいな。それが何よりの証拠には、やがて手が出る、足も出る」なんて口ずさんでいました。やがて、童心にかえって、
一 春の小川は さらさら行くよ 岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく 咲けよ咲けよと ささやきながら
二 春の小川は さらさら行くよ えびやめだかや 小ぶなのむれに
今日も一日 ひなたでおよぎ 遊べ遊べと ささやきながら
と歌いながら家路についた時、ふと、いつか何かの本で、この詩は作詞者の高野辰之さんが明治神宮の下の、今は小田急電車の通っているそばの小川の岸を歩きながら作った歌を、文語体は好ましくないというので、林柳波さんが口語体に作り変えたものの、あまり評判がよくなかったとか、 それでも多くの方たちが子供のころによく歌ったとか、中でもお父さんが亡くなって転居し、のちに児童心理学者として世に知られるようになった波多野勤子さんが女学校の編入試験を受けたとき、校内のどこかからか、この歌が聞こえてきて、自分が習った歌であり、好きな歌でもあったことから、何となく気分が和らぎ、みごと、ただ一人の合格者として迎えられたのだな等というエピソードが、次から次へと思い出され、楽しいひと時を頂きました。
(前住職 法話のしおり 3月)